生きるということ

霊止の生き方それぞれであり、
各々現世で宿命を果たすべく必死に彷徨っている。

その必死さに横槍入れる様な無頓着な霊止にはなりたくない。


多様性を受け容れられない。
ゆたぽんの例がそう。
あの子がもし成功したら、これまで洗脳教育受けてきた者は違和感を感じ否定するだろう

前例が無いケース
人間は知識が無い事柄に対して怒る
寄り添う事の無い可能性を小馬鹿にし否定する。
自分の生き方の存在否定となるから。

でもそれは、他人と比較するから産まれる障害


他人は他人であり、そこに自身を介入させてはならない。


その無意味な劣等感が自身を苦しめ、
やがて、他者に責任転嫁し攻撃する。


そんな事してる間は救われない。

守護霊には助力借りることはあるだろうが
仏はそんな霊止に救いを差し伸べさない


仏=慈悲深いとは違う
試練を乗り越え必死に抗う霊止に救いを差し伸べる。

導く人間も選別はする。


誰構わず愛情注ぐ事はしないだろう。

生前異聞録 碧篇

Welcome to depth psychology 精神修養 此処は遺書

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